ブロドビッチとFRASCO

フラスコの大好きなクリエーターにアレクセイ・ブロドビッチという人がいます。
30年代から50年代にかけてハーパーズバザー誌の名アートディレクターであり、
『Ballet』という写真集で有名なフォトグラファーでもありました。
その彼が若手育成に力を注いだのが「デザインラボラトリー」というワークショップ。
アービング・ペン、リチャード・アベドン、ダイアン・アーバス、ロバート・フランク、
アーノルド・ニューマン、ブルース・ダビットソン、バート・スターンなどなど、
クリエイティビティに溢れた錚々たる才能を輩出しました。

1998年のFRASCOロゴ

これは1998年設立当時に使用していたFRASCOのロゴです。
設立したばかりで何の会社か良く伝わらないと考えて
ほんのしばらくの間「デザインラボラトリー」をタグラインとして拝借しました。
デザイナーやフォトグラファーなら誰でもその意味がピンとくるはずです。
日本語だと「デザイン実験室」とでも訳すでしょうか?
もちろん、理科実験の硝子瓶「フラスコ」を連想させる言葉として選びました。

日本語になったフラスコ

事務所に名前をつけようと思ったときに考えたことは、
奇をてらったものではない普通の日本語にしようということでした。
そこで思いついたのがポルトガル語で硝子瓶を意味するFRASCO。
誰でも小学生のころ理科の実験でフラスコを使った記憶があるでしょう?
誰でも知っている日本語だけれど異国情緒と発見の驚きを感じさせる言葉です。
フラスコの出身地である九州は、昔から異文化へと繋がる窓口でした。
中でもいち早くキリシタン文化が花開いたのが大友宗麟の治めた豊後地方です。
ここ由布院にも隠れキリシタンの墓地群があります。
彼は九州・無鹿(ムジカ)の土地に理想郷を築こうとして夢やぶれたことでも知られ、
無鹿はポルトガル語で音楽を意味するMUSICAに由来するとの話が伝わっています。
大友宗麟の洗礼名「ドン・フランシスコ」と宣教師「フランシスコ・ザビエル」。
フランシスコ……フランスコ……フラスコ。
少し苦しいですが……、これがフラスコのはじまりです。

2005年から併用したFRASCOロゴ

2005年から使っていたローマン系のこんなロゴのバージョンもあります。
これはベネチアンフォントを使って硝子瓶のシルエットを形どってあります。
フラスコのイメージは三角フラスコより丸底フラスコのほうがだんぜん素敵です。